いわゆる”狭小住宅”と呼ばれている住宅の相談が多い。
現在見積もり調整中の”工房のある家”も狭小住宅だ。
床面積的に言えば”王子の家”もそうだ。
ただ、この「狭小住宅」という言葉は余り好きでない。
何も「狭い」「小さい」と重ねて言わなくても・・・と思ってしまう。
「小住宅」くらいの表現の方が品が感じられていいのだけど。
いわゆる「狭小住宅」は設計が難しいのは確かだ。
もっと広さに余裕のある住宅と同じように設計しても上手くいくはずがない、と思う。
狭小住宅にはある種の経験とテクニックも必要になるが、
そこがいちばん大事なのではない。
小さいがゆえに、
住まい手の生活にとって本当に大事なものは何か、
もっと大げさに言えば、
そもそも住宅とは何か、
という課題が否応がなく突き付けられることになる。
そこを真面目にとらえて出来た住宅は、
住まい手の価値観がはっきり表れた個性的な住宅になる。
そこがとても面白い。
小さい、ということ。
短歌、茶室、坪庭、盆栽、活け花、カメラなどの精密機械、家電・・・
どうも私たちの国には小さいものへの強い愛着があるらしい。
鴨長明は自分の住まいを10分の1、100分の1と縮小し、
「広さはわづかに方丈、高さは七尺が内なり。」の庵が終着点となった。
平面が3メートル四方程のこの庵は、
何時でも場所を移すことの出来る、
いわば仮設小屋のようなもので、
ここで『方丈記』が記された。
小さくする、ということは
ただ縮小する、ということだけでは無いようだ。
そこから外部の広い世界へと通じる回路を同時につくること、
縮小することで拡大する、
という反転の構造があるように感じられる。
“工房のある家”もそのような住宅になると良いのだけれど・・・。