9/5明け方、
”シルクロード・キャラバン”(アンヌ・フィリップ著)を読了。
ここ最近、
寝れないから本を読んでいるのか、
本を読んでいるから寝れないのか、
どちらなのか分からない・・・
新疆省のカシュガルからインドのカシミールまでのシルクロードをキャラバンで旅をする、
その時の日記をもとにした紀行文。
思っていたよりも地味で淡々と続く旅であるが、
(個人的にはカシュガル、フンザ、ギルギット、カラコルム・ハイウェーなど、
行ったことがある地名が次々に出てくるので楽しい)
いわば旅をする事そのものが目的であるかのような旅なので、
これほど贅沢な旅もない。
『キャラバンは長いリボンとなって谷沿いに伸びたり、途切れることのない曲折模様を山腹に描いたりする。道らしい道は見当たらないが、ひるむことなく毅然として進んでいく。その歩みのリズム、のろさ、単調さは、阿片のように人を麻痺させる。』
と本文中にあるがこの本もまさにそのような本で、
ついつい読み続けてしまう。
母国語が全く通じない異郷の地で、
キャラバンの人たちも馬も驢馬も駱駝も、
同じ距離感で見つめる著者のまなざしが印象的。
途中死んだ馬の脇を通り過ぎる。
『歯をむき出しにして笑っているかに見え、ガラスのような澄んだ眼がじっと空を見つめている。』
足を折った驢馬を追い越す。
『自分も遅れまいとして絶望的な努力をしている。その眼差を私は決して忘れないだろう。・・・驢馬は虫の息のままで鷲に発見されるのを待つのだ。』
砂漠や岩壁ばかりの、人間を拒んでいるかのような厳しい僻地での旅であるが、
『人間が好きになれない人には、砂漠へ行くことを勧めたい。そういう人も、砂漠では、人間の存在やその闘い、勇気、知性に涙ぐむほど感動し、人間を愛することを知るだろう。』
という逆説。
そしてそこで出会った人々とは旅を終えた後は決して再会することはないであろう、
という通りすがりの旅人の宿命。
だけど著者はそういった人々と風景を『ありありと思い出す。』ことができる。
(この本は旅を終えて7年後に出版された。)
『私は今では知っている。孤独に生きることは、呼吸をしないで生きるのと同じように、不可能であることを。』
と最後に書かれているが、
きっとこの著者はこの旅で自分自身が変わり、
この旅を終えた後も記憶の中でシルクロードの人たちと再会し、
それまでとは違った人生を生きたのだろう。
人生のための旅。