路上のドラマ

まだ寝れずにいる。
もう諦めて起きていることにしよう。
よって連続投稿をすることにした。
たまにはこういうこともある。

数日前、『都会のアリス』(ヴィム・ヴェンダース監督)という映画を観た。
いわゆるロード・ムーヴィーである。
ハリウッド映画のような派手さや虚飾もなく、
路上の風景とともに淡々とストーリーが通り過ぎてゆくような、
好ましい映画だった。

道を題材にした映画は案外多い。
ずばりそのままタイトルになっているフェリーニの『道』、
ジム・ジャームッシュの『ストレンジャー・ザン・パラダイス』や
『ナイト・オン・ザ・プラネット』、
やはりヴェンダースの『まわり道』や『さすらい』そして『パリ、テキサス』、
(『パリ、テキサス』の、ライ・クーダーのスライド・ギターとともに始まる
沙漠のシーンのオープニングがすこぶる良い。)
マイケル・ウィンターボトムの『イン・ディス・ワールド』、
ジーン・ハックマンとアル・パチーノ出演の『スケアクロウ』、
などなど。挙げたらきりがない。
『地獄の黙示録』、『レインマン』、そして『寅さん』シリーズもそうだろう。
つまり移動や旅の途中の出来事がストーリーとなった映画。

ロード・ムーヴィーというジャンルを確立させたのは、
やはりヴィム・ヴェンダースの存在が大きい。
彼は自分の会社名を「ROAD MOVIES」としていたほど。
そして彼は、ひたすら路上のドラマを映画に撮り続けている。

確かに映画というメディアには、
ロード・ムーヴィーという手法はふさわしいように思う。
写真というメディアにはなく映画というメディアにあるものは、
“時間”というベクトルである。
つまり、路上の移動・風景の移ろいはそのまま時間のベクトルとして、
映画のストーリー展開の推進力とすることが出来る。
『都会のアリス』ではほとんど路上のシーンしかないし、
この時間のベクトルの流れに逆らう回想シーンといったものも全くない。
あるのはストーリーとともに流れる路上の風景。
ロード・ムーヴィーの利点を最大限に生かした映画のひとつであろう。
こういったこだわりをもとに映画を撮り続けている、
ヴェンダースという監督の姿勢には大変共感を覚えるし学ぶべきことも多い。
同じ考え方で建築だって出来そうだ。

さて、ここまで書いてきて気になったことがある。
映画の封切などで使われる“ROAD SHOW”という言葉。
この言葉はどこから来たのだろう?
yahoo辞書で調べると、ROAD SHOWの意味は、
・巡回興行, 地方巡業, どさ回り。
・もと、演劇の興行に際して、宣伝のために路上で一部分を演じたところからいう。
となっていた。
さらに調べてみると、
17~18世紀に興行師がマジック・ランタン(映写機の原型)を背中にしょって、
国中を巡回したのが映画の大衆化の始まりだったらしい。

映画そのものの歴史もまた、路上にあったのである。