プロ?それとも、アマチュア?

高田馬場駅前ロータリーの向かい側にある
雑居ビルの3階か4階だかに本屋があった。
(今もあると思うが・・・)
学生の頃その本屋に立ち寄っては、
そこから歩いて4,5分の処にある “マイルストーン”というJAZZ喫茶に行き、
よく本を読んでいた。
(このJAZZ喫茶は今もある)
“マイルストーン”からもう一歩足を伸ばせば大学があるのだが、
その間には眼には見えぬ大きな壁があるような気がして、
ただひたすらそこで本を読んでは、
そのまま家に帰ってしまうこともしばしばあった。

その頃よく読んでいたのが
ちくま文庫の“坂口安吾全集”。
『堕落論』、『続堕落論』や『日本文化私観』、『白痴』、『桜の森の満開の下』
『石の思い』、『教祖の文学』、『不良少年とキリスト』などなど、
世間的にも有名で優れたエッセイや小説も数多くあるが、
全集だからこそ載っているような、
誰もあまり気にも留めないような小さなエッセイの中にあった言葉を
今でも時折思い出すことがある。
それは以下のような言葉。
《ちなみにこれは坂口安吾の言葉ではなく本因坊秀哉(囲碁の名人棋士)の言葉の引用部分》

『玄人の碁打と素人の碁打とどこが違うかと言えば、
玄人も素人も同じくらい練習し同じ生活をしているのだが、
ただ玄人は、三面記事を読んでも相撲を見ても料理を食っても、
それを常に碁に結びつけて考える。
生活のすべてを碁に結びつけて考えている。
それだけが玄人と素人の違うところだ。 』
~ 『坂口安吾全集14』 「大井広介という男」より  ちくま文庫 ~

この言葉の中の”碁打ち”、”碁”に
自分の職業を当てはめて考えてみると・・・。

この言葉を思い出すたびに、
自分はまだまだであると思い知らされる・・・。