フォークの歯はなぜ四本になったか

今、
私の身の周りに見えるもの、
壁、天井、パソコン、本、マグカップ、ペーパークリップ、計算機、
三角スケール、シャープペンシル、ポストイット・・・
それらは全て人工物である。
窓の向こうに見えるわずかな空でさえ、
人工物に縁取られ放射能物質に汚染されている。

『形態は機能に従う(form follows function)』という、
ユニバーサルデザインの格言めいた言葉があるが、
はたして本当だろうか?
それならばなぜ食べるといった人間の根本的な機能に対し、
西洋ではナイフやフォークが用いられ、
日本では箸が用いられるのか?
そしてフォーク自体なぜこれほど多様なデザインのものが、
今でも作り続けられているのだろう?
先の語呂合わせの良い格言では以上のことが上手く説明できない。

むしろデイヴィッド・パイの暴言めいた言葉、
『機能(function)は幻想(fantasy)である』
の方にむしろ説得力があるように感じてしまう。
とすれば、
ユニバーサルデザイン自体がファンタジーである、ということになる。
そしてきっと、そうなのだろう。
それは人ではなく「人間」を対象としているのだから。
つまり近代という枠組みの中でステレオタイプ化された概念としての「人間」。

「形は失敗にしたがう」のであり、
「どんな人工物にも、多かれ少なかれ機能上の欠陥があり、
それが進化を押し進める要因になっている。」
という著者の考え方は達観かもしれない。
つまり人工物は何物も完璧ではなく、
何か改善されると同時に,
実は別の新たな欠陥も生み出している。
何を欠陥と考えて改善し、
その結果新たに生じてしまうどの欠陥を仕方がないと考えるか?
は場所や人や時期、
それらを取り巻く社会や文化や技術によって異なり、
それゆえ変更が重ねられた結果として多様化してゆく。
進化は必ずしも右肩上がりの改善ではない。
大昔に人は二足歩行で手が解放され道具を扱えるようになったが、
嗅覚は退化していったように、
生物の進化がある時点での環境の変化への適応であるように、
モノの進化も実は場当たり的な適応の積み重ねなのかもしれない。

じっくり読めばいろいろと気づかされる本である。
棚橋弘季さんによる解説も面白かった。
高山宏さんの著書やフランセス・イエイツの『世界劇場』を読んだ事のある人は、
デザイン(構想)という概念の誕生の歴史について理解するための、
よい手引きにもなっているかもしれない。