”工房のある家”は都心近くに建つ小さな住宅だが、
そこに込められたお施主さんや設計者の想いはとても大きなもの。
都心近くの狭小住宅に住むということはどういうことか?
住宅だけで生活が完結するのではなく、
近くの街や敷地周辺も生活スペースである、
といった考え方で設計できないか?
上の図は”工房のある家”のコンセプト図。
北側隣家のパースの効いた隙間、
西側燐家の間の隙間、
を敷地内に延長したのが2本の黄色いゾーン。
建物の平面形はここの変形敷地の形状そのままに、
上記の黄色いゾーンを建物内に引き込んでできた住宅が”工房のある家”。
この住宅ではこの黄色いゾーンに動線を集中させている。
1階から3階へ上がるときは北側のパースの効いた隙間に向って歩くことになり、
奥に行くほど幅も視界も狭まり、寝室や洗面・浴室といったプライベート空間に辿り着く。
3階から1階へ降りる時は向かいの家の樹も見えつつ次第に空間の幅も視界も広がっていき、
この住宅で最も広い空間である1階のLDKに辿り着く。
さらに加えて、
2階の寝室や3階の洗面から出る時は西側燐家の隙間に向って歩く動線にしている。
つまり”工房のある家”は2本の隣家間の隙間によって動線の位置や向きが規定されて、
その結果としてのプランとなっている。
(つまり動線の位置が先に決まった)
街中にいる時の主な体験として、
建物と建物の間の道路や路地を歩く、というものがある。
そういった体験を住宅内にも持ち込めないか、
そう考えて設計したのが”工房のある家”。
上図の2本の黄色いゾーンに配された動線は、
街中を歩く体験のアナロジーとしてある。
建物を設計する場合、
見た目のデザインの良さや合理的なプラニングといったものも大事かもしれないが、
私の場合は先のような、
始めは抽象的なものであるかもしれないけど、
都心近くの狭小住宅に住む意味は何か、
といったようなことから掘り下げて考えることが最も大切だと思ってる。
そしてそこが設計の最も難しい部分だとも思う。
なので基本設計をしているとき、
私はプラスゼロ、プラスゼロと呪文のようにぶつぶつ言っているときがある。
0(ゼロ)という数字は抽象的概念でしかないが、
(3個のリンゴ下さい、とは言うが、0個のリンゴをください、とは言わないように)
0(ゼロ)という概念が作り出されることで数学の世界は飛躍的に広がっていった。
(0は無限とセットでもある)
数字の世界での0(ゼロ)のような概念を建築にもプラスすることで、
建物の可能性が広げられたら・・・
私の事務所名であるプラスゼロは自分に言い聞かせている言葉でもあるのです・・・