写真集というものは便利な本である。
時折、思い出したように手に取り、パラパラとページをめくってみる。
それは一杯のコーヒーを飲んだり、トイレの中にいたりなどの、
ほんのちょっとした短い時間。
写真集はそんな、ちょっとした時間を過ごすのに都合のよい本である。
文章などと違って、写真には時間の流れという構造が無いから、
始めから順を追って読む必要が無い。
ただ思い思いに、ページを操っては、気になった写真を眺める、それでよい。
しかし、この『百年の愚行』という写真集はそうはいかない。
眺めていて心地よいものでは決して無い。
ここに集められた約100点ほどの写真は
世界中のフォット・ジャーナリストたちによるものである。
科学技術や産業の飛躍的発達が20世紀における”光”の側面だとすれば、
これらの写真が紡ぎだすものは20世紀のもうひとつの側面、”闇”の部分である。
射す光が明るく強いほど、その背後に浮かび上がる影が濃いように、
この本の示す闇は、どうしようもなく、深く鋭い。
大気汚染、森林伐採などの環境破壊、
大量生産・大量消費による廃棄物の問題、
化石燃料などのエネルギーなどのエネルギー問題、
核・テクノロジー、
戦争、
差別・迫害、
難民、
そして貧困。
そういった、普段、僕らの前から隠されている部分が、この本の中で、暴かれている。
これらの写真を見てわかることは、地球は有限である、ということ。
無限とか永遠などといったものは幻想でしかなかった、ということだ。
そして、これらの幻想こそが、あらゆる問題を生み出した、
根本的原因でもあるように思う。
今や、我々人類は子供の世代、孫の世代、その次の世代と、
将来に残されるべき再生の利かぬあらゆる資源を食い潰して生きているらしい。
そういった借金生活の上で、今の妙に明るい世界が成り立っているらしいのだ。
困ったことに、どうも、そのツケは返せそうにない・・・。
今では、地球は時限装置付きの惑星である。
それを仕掛けたのは、20世紀はじめには15~16億ほどであったのが、
今世紀には60億を越えた、我々人類である。
一杯のコーヒーを飲みつつ、この本をちょっと眺めてみる。
そんな、少し気分のふやけた時に、不意にすっと深く忍び込んでくる自戒の書が、
この『百年の愚行』である。