スケールの問題

“スケール”という言葉は建築を生業としている人間には馴染み深いものである。
建築というものは基本的に、色々な意味において大きいものであるから、
設計を行う際、様々なスケール(縮尺)の図面や模型を利用する。
そして、1/500や1/100の図面では敷地周囲と建物の関係、
1/50の図面では前面道路や隣地と建物、その内部の関係、
1/30や1/20の図面では主に建物内部やその寸法の関係、
1/5や1/2(時には原寸)の図面ではモノとモノとの納まりの関係というように、
同じ建物の図面であっても、そのスケールによって、
そこに見るものは変わってくる。
最終的に1/1のスケールの実物が出来たときには、
そこには図面などでは予測できなかった効果などもあったりして、
それが建築設計の難しさでもあり、楽しみでもある。

ここ数ヶ月、中国の四川省や岩手・宮城内陸で大地震があったとき、
複数のニュース番組などで
「地球内部のマントルが対流し、その上にのっかっている複数のプレートが動いている」
という地震のメカニズムについての説明を何度か耳にした。
マントルとは、つまり大きな岩である。
岩という硬い固体が対流するとは、どういうことだろう?
対流とは暖房された空気とか、お風呂を沸かすとか、
液体とか気体の性質のことではなかったか?
気になって調べてみると、
時間というものにも“スケール”がある、ということに気づいた。

ある大学の研究室でこんな研究があった。
完全に温度調節された部屋に、天井から金属にオモリをつけて吊るしておく。
何十年も吊るしておくと、その金属はいわば無際限に伸びていく。
(温度調整されているので、これは熱膨張によるものではない。)

マントルも金属も、
人間的な短い“スケール”の時間で見れば「固体」のように振舞うが、
もっと長い時間の“スケール”で見ると「液体」のように振舞うことがある。
つまり、「固体」か「液体」かということは、
どういう時間の“スケール”でものを見るかによって変わってくるらしい。

僕らの周りに広がっている世界も、
それを見る時間の“スケール”をどう設定するかによって、
ちがった側面が見えてくるのかもしれない。
宮澤賢治の
『わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電灯の/ひとつの青い照明です』
という詩のように。

ps.
この投稿を終えてすぐ、岩手北部でM6.8の大きな地震がありました。
深夜ということもあり、心配です。