等身大の居場所|東京・渋谷の設計事務所

等身大の居場所 

 

住宅設計の難しさとは何であろうか?

設計者はもちろん住まい手の生活スタイルや使い勝手などの具体的な要望を聞き入れ、それらを出来るだけ建物という、かたちのあるものとして反映させようと努力をする。

しかし設計者は同時に別のことも考えてしまう。

それは、その特定の住まい手のための住宅であるということからあえて一歩引いたもの、そして先の要望と比べたら曖昧で抽象的なものかもしれない。

たとえば、現代での新しい家族のあり方とはどういうものだろうかとか、そういった家族像にとっての適切な周囲との関係はどうあるべきかといったことなどである。

つまり設計者は目の前にいる特定の住まい手の具体的な要望を聞きつつ、設計者自身で思い描く、まだ曖昧でしかない新しい家族像というようなものとも対話している。

別の言い方をすれば、前者は住まい手の生活や、もっと突き詰めて言えば身体の延長といったような「内側の論理」、後者は都市だとか社会とかいったような「外側の論理」、とも言えるかもしれない。

そして時として前者ではなく抽象化された後者の方が、建物の構成原理や社会に対するメッセージといったものにも結びつきやすい。

各々の住宅に個別の問題だけではなく一般性をも担わせることが、ある意味設計者の美徳のようにも考えられてきた、とも思う。

住宅を設計する過程で住まい手と設計者の間で生じるギャップの多くは、おそらくここに起因するような気がする。

私自身、この両者を何とか両立させたい、両者は根底では繋がりがあるはずだと、そう考えつつも、そのギャップをなかなか埋めきれずにいて日々の設計を行なっている・・・。 

 

丸山弾さん設計の「永山の家」については、たとえば3面以上が外気に接している独立性の高い諸室が、中庭を介してどのような繋ぎ方がなされているのか、とか、敷地の高低差をトレースすることが先の諸室間の関係・距離感というかたちでどのように建築化されているかなど、そういったある種の図解的な説明をする事もできるであろうし、私もはじめはそのような内容で一度このクリティークを書き終えたつもりでいた。

ただ時間をおいて読み返してみると、もしかしたら丸山さんならではの設計の特徴は、そういったところではないのではと思い始めた。

そしてそれは図面や写真ではなかなか伝わりにくい性質のものだと思い、書き直すことにした。 

それはこの住宅の空間がもつ漠たる包囲感と言ったらよいのだろうか。

そういった特徴は、中庭に面した寝室2と3の開口部のあり方などにも現れているように思う。

「開口部の寸法はどのようにして決めていますか」と聞いたところ、丸山さんからの回答は「アルミサッシ自体はすべて規格寸法です」というものだった。

開口部の形ではなく、むしろ開口部の設け方の方に丸山さんの強いこだわりがあるのだ。

垂れ壁と腰壁は確保した上で、そこに納まる規格寸法のサッシの中から適切なものを選んでいるとのこと。

垂れ壁と腰壁を確保するのは、そこの空間が拡散してしまうことなく、その空間の形そのままにフワッと身体を包み込んでくれる感じを大切にしているからのようだ。だからであろう、どの開口部も部屋に対して大きすぎることもなく、小さすぎることもなく、身体的なスケールを感じさせるものになっている。

そういった意味で、「永山の家」で私なりの最も丸山さんらしさを感じるのは居間の中庭に面した開口部である。

南からの自然光を多く採り入れたいがためであろう、ここの開口部は垂れ壁のない背の高いものになっているのだが、丸山さんは注意深くそこの室内側に小庇をつけることで、この大きい窓辺の空間を身体的スケールに引き戻している。

同時に、この小庇によって直射の光量を抑えつつ、反射光を天井に導くことで、居間を柔らかい光で身体を包みこむような空間にしようとしているのだと思う。

窓台の小口や小庇の先端は丁寧にアール加工やテーパー加工が施されており、これらの丁寧なディテールが積み重ねられた窓辺の空間は、建物のスケールと居間に置かれた家具のスケール、それらの異なるスケールをなめらかに繋ぐ中間スケールにもなっており、その結果として居間全体に緩やかな一体感が生まれているのだろう。 

今一度よく図面を見ると、予備室的な位置づけの寝室1は例外として、玄関から洗面そして浴室と進むにしたがって、またはホール1から寝室2そして納戸と「奥」に進むに従って、室内建具の幅や開口部の大きさが狭められていることに気付くのだが、お会いした際丸山さんがおっしゃっていた「呼吸感」といった言葉はこういったところを意味していたのかもしれない。

空間的な「奥」の度合いと身体的感覚を呼応させる、ということだろうか。

階段室の屋根だけが他の部分よりもちょっと持ち上げられているのも、上下運動する身体性を考慮してのことかもしれない。

他には住まい手の身長や寝るための空間であるということを考慮して、寝室の天井高を低めに設定したり、中庭に面した主な開口部にはすべて人が座れる高さに窓台が設けられていたりなど、丸山さんの念頭には常に身体の居場所という意識が強くあり、住まい手の身体を突き放してしまうことがないよういつも細心の注意を払っているように感じられる。 

「住宅を設計するうえで何をいちばん大事にされていますか」と聞く私に、丸山さんが返した言葉が印象深かった。それは次のようなものだった。

住宅を建てる時は基本的には住まい手の人生の中で昇り調子の時が多く、設計する側もその高いテンションに引っ張られてしまいがちかもしれないが、長い年月の中では、当然住まい手の人生にも波があるはずで、あまり調子のよくない時もあるだろう。そんな時の生活をも包み込むような住宅であって欲しいから、調子のよい時とあまりすぐれない時、その中間あたりの生活に合わせて設計をするよう心がけている・・・

”中間あたりの生活”とは最も等身大の生活、ということだろうか。

今後丸山さんは 等身大の居場所 というものと、冒頭に述べたような外側の論理との間にどのような脈絡をつけていこうとしているのだろう?楽しみである。 

 


新建築 住宅特集2014年3月号

丸山弾さん設計の「永山の家」を訪れての批評文

等身大の居場所 

前へ  次へ