新建築住宅特集11月号に掲載されている、
10月号(前号)のディテール特集についての座談月評を興味深く読んだ。
「中心のある家」に対する北山恒さんの以下の言葉が、
特に印象深かった。
「そしてあの住宅ではディテールが消えていくようにつくられています。
そうすると作為が消え、構成の自由さだけが見えてくる。」(P146)
「空隙の家」の建主さんが私のところに設計の相談にいらした時、
阿部勤さん設計の「中心のある家」が好きだとおっしゃっていたのを思い出す。
建築家によってはディテールにものすごくこだわる方もいるが、
(何のためにディテールかにもよるが)
私が設計する際は、
出来るだけシンプルで、
建物全体の構成の邪魔にならないディテールを考えている。
見せるためだけのディテールにはあまり興味がない。
たとえば「空隙の家」では、
RC躯体にサッシュ取付のためのアゴ(抱き、とも言う)は設けていない。
壁厚ごとRC躯体に開口を開けて、
水切りが不要になるように外面合わせでサッシを嵌めているだけの納まりである。
「空隙の家」にはこういった即物的な納まりの方があうと考えそうしている。
そしてそれが私自身の好みでもある。
「空隙の家」はいわゆる狭小住宅で、
小さな建物であるし住宅である。
ディテールを設けるまでもなく、
家具や日常品やらのヒューマンスケールの多くのものが持ち込まれる。
小さな住宅であるがゆえに、
そういった多くのものや人間の生活を覆ってくれるような、
おおらかな建物であってほしいと考えて、
そうしている。
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